youthful days あやね編 第1話

部屋のいらないものを片っ端から片付けていっても、どうしても捨てられないものって誰にでもあると思う。

なんの使い道もないし、売ってもお金にならないし、とくにこれといった思い出もあるわけでもない。

だからといって場所を取るわけでもない。

さっさと捨ててしまえばいいのに、なんとなく捨てる前に一度考え込んでしまい、後回しにして結局残ってしまう。

さて、その捨てられないものは、いったいいつまでそこにあるのだろうか。

時が進んで、時代が変わって、首相が変わってしまっても、そこに存在し続けるのだろうか。

いやはや、僕はいったいなにを考え込んでいるんだ。

さっさと捨ててしまえばいいのだ。

よし、捨てよう。

でもそのまえに、ちょっとコーヒーで一息いれよう。

出水あやねが、放課後になって僕をそのラボに連れてきた理由はいたってシンプルであった。

「自動マスタングがようやく正常な数値を示すようになったんです。だから先生に手伝ってほしいんです」

言っていることはシンプルなのかもしれないが、さっぱり意味はわからない。

僕が連れてこられたラボは、彼女の知り合いのガレージで、やや狭くて薄暗く、何に使うのやらさっぱりわからないような部品や機械でごちゃごちゃした密室であった。

「せんせー、ちょっと動かないでください。数値が狂うじゃないですかー」

僕は彼女に言われたとおり、日々大きくなっていって今や海の家とかで売っているイルカの浮き輪くらいの大きさになっている、例の自動マスタングを両手で支えていた。

「なにか固定するものはないのかい?このままだと腕がしびれちゃうよ」

僕の提案が聞こえているのかいないのか、出水あやねは自動マスタングなるものからはみ出ているコードのようなものを端末につないでなにやら数値とにらめっこしている。

いつものほんわかした表情はややなりをひそめており、真剣な表情でスマホくらいの端末を睨んでいる。

こちらの声が全然届いていない。

まいったな。

急に連れてこられたから白衣のまんまだよ。

たしかにこの格好だとこの場所では違和感はないかもしれないけど、僕は元来こういった機械とか部品とか無機質なものは本当に苦手なのである。

保健室ではまだやり残した仕事もあるし、できたら早めに切り上げて明日の準備やら今日の授業の経過報告書を書いたりしたいのだけれども。

僕のそんな思いとは裏腹に、出水あやねは熱心に無機質の物体とまるで一触即発の真剣勝負のような雰囲気だった。

これは簡単には踏み込めない雰囲気であった。

するとそこへ。

「お、やっておるな~」

ガレージのシャッターが賑やかな音をたててガラガラと開き、そこに現れたのは僕とおなじく白衣を着た、白髪頭にてっぺんが見事にハゲ上がった初老の男性がいた。

「最近はよく精を出しておるわい」

僕は急に現れた、おおよそ実用的ではないデザインの車でタイムスリップをしようとするどこかの映画に出てくる「いかにも」な老人を前に言葉がうまく出てこなかった。

「出水くんの研究も、最終段階ということだな」

「えっと、あなたは?」

僕の質問に対し、その得体のしれない老人はクリスマスプレゼントで遊ぶ子供を見るような温かい眼差しで答えた。

「きみのことは出水くんからよく聞いておるよ。保健室の先生である、犬迫誠一郎先生であろう」

「は、はぁ」

「わしのことは、クリンクラー博士と呼んでくれたまえ。その道の業界ではドクター・クリンクラーとも呼ばれておるよ」

ドクター・クリンクラーと名乗ったその初老の男性は、白髪とその白い伸びきった眉毛によって、東洋人か西洋人だか判断がつかない外見をしていた。

体型は大きく、恰幅のいいお腹をしているが、その部分が親しみやすく、見る人に余計な緊張感を与えなかった。

「ここはもしかしてあなたのラボですか?」

「そうであるとも。わしは出水くんのその飛び抜けた才能を評価し、彼女が幼いころから全面的に支援しているのだ」

「なるほど。親代わりみたいなものですか」

「そんな大層なもんじゃない。彼女は保護者なんて必要ないくらい完全に自立している」

「せんせー!数値が狂ってます!」

出水が急に叫び、僕はおもわず自動マスタングを支えるのに集中する。

そして僕はドクター・クリンクラーの方へゆっくりと顔だけを向けた。

「自立ですか」

僕はある種の皮肉を込めて言ったつもりだが、ドクター・クリンクラーに低い声をあげてゲラゲラと笑っただけであった。

「とはいっても、彼女はまだ高校性であるがね」

「そうです。彼女はまだ高校性なんです」

「せんせー。数値が狂ってますー!!」

これじゃあまともに会話ができそうになかった。

ドクター・クリンクラーがガラクタの中から引っ張り出してきたのはちょうど自動マスタングがすっぽりハマるサイズのさびた金型の固定器具だった。

それを瞬時に僕の支えている手と交換するも、出水は気づかずに計測を続けていた。

やれやれ、これでやっと自由になった。

支えていた手がヒリヒリと痛む。

「ようやく落ち着いたな。改めてよろしく、犬迫誠一郎先生」

「こちらこそよろしく。えっと、ドクター・クリンクラブ博士でしたっけ?」

「クリンクラーだ。まぁ、好きに呼んでよい」

「では、ドクター。彼女はいったいなにを作っているのですか」

僕はこれまで根本的に気になっていた質問を、ドクター・クリンクラーに聞いてみた。

少しは話の通じる人物だと思ったからだ。

「なんじゃ、本人から聞いてなかったのか」

「聞いてもよくわからなかったもので」

白衣どうしの僕らはそのへんにあった使い道もわからないような部品に腰を下ろして、計測に精を出す出水を眺めていた。

「彼女がやろうとしていることは『超時間歪曲継続運動』装置、もっとわかりやすくいえば『タイムマシーン』を作っているのだよ」

僕は一瞬、ドクターがなにをいっているのかわからなかった。

唯一聞き取れたのは『タイムマシーン』という単語であったが、その言葉の響きにあまり現実感がなく、危うく聞き逃してしまうところだった。

「タイムマシーン、ですか?」

「そう。タイムマシーンじゃ」

「それってもしかしてあの、おおよそ実用的ではないデザインの、乗り心地が悪そうで悪趣味でカルトバンドの演出で使うような角の生えた車で時間旅行するあれですか?」

「きみはまともに見えるが、ちょっと想像力が行き過ぎるところがあるな」

「あ、あのドクター。まさかタイムマシーンを作っているっていうんですか?出水さんが?」

「作っているというか、ほぼ完成している。あとは歪曲修正値をあの機械で計測できるようにすれば理論的には可能なのだよ」

いったい彼は何を言っているのだろうか。

この人たちはきっと古い映画を観過ぎたんだろう。

タイムマシーンなんて実用化できるわけがない。

各国の研究者が血眼になってその理論を追求したりあるいは批判したりしているのだ。

そんな簡単にできるものじゃない。

きっと古い映画を観すぎて、おかしくなってしまったんだろう。

「わしの言っていることを信じていないみたいだな」

「正直言って、信じられません」

「まぁ、信じる信じないはきみの勝手だがね。しかし彼女は本気でそれを実現しようとしている。それも、こんな地方の田舎の街でね」

「ドクター。彼女はどうやってタイムマシーンを作ったんですか!?」

「それをきみに説明するにはちょいと骨だよ、わしも若くないんでね。それにきみが理解できるかどうか」

「それじゃあ、彼女はなぜタイムマシーンを作ろうと思ったんですか!?」

「おや、きみはそれを知らないのかね」

「知りませんよ。だってタイムマシーンを作っていること自体今知ったわけですし」

「それもそうか」

博士はそのへんにあった機械をガチャガチャと取り出し、ポケットから取り出した紙コップにコーヒーを入れた。

おおよそコーヒーメーカに見えないその円柱状の機械の先からジョボジョボとコーヒーの汁がコップに注がれていく。

「きみも飲むかね?コーヒーはダイエットにいいんだぞ」

「いえ、いりません」

一度そう断ってから、やはり欲しくなったので受け取ることにした。

わけのわからない機械から出てきたコーヒーは、僕が普段保健室で飲むコーヒーと遜色ないくらい美味しかった。

ドクターもコーヒーが注がれた紙コップに口をつけ、その白いヒゲにコーヒーの液体を付着させていた。

「ふむ。彼女がなぜあんなにもタイムマシーンの実験に余年がないか。それはわしにもわからん」

ドクターはまるで砂場で遊んでいる孫を見るような目つきで、自動マスタングと端末を交互に観測している出水あやねを眺めていた。

「なぜがあんなに研究にのめり込んでいるのか。彼女は理由を話そうとはせんのだよ」

たしかに彼女の集中力は並大抵のものではない。

きっとドクターが入ってきたことも気づいていないだろう。

そういや、このドクターって。

「ところでドクター。あなた日本人ですか?」

「わしか?わしはインドネシア系カンボジア人だよ」

もうなにがなんだかわからなくなった。

次の日。

僕はあいかわらず学園内を忙しく駆け回っていた。

僕が受け持つ授業は、保健体育で、主に座学のほうであった。

当たり前だが、僕は外に出て体育の授業ができるわけがない。

秋口でやや涼しくなったとはいえ、まだまだ残暑がキツイ季節である。

僕も以前、この学園に在学していたとはいえ、よくもまぁあんな暑い校庭で体を動かしていたものだ。

今じゃお金もらったってやりたくない。

「せんせいー、せんせいー!!」

廊下の奥の方で聞き覚えのある女子生徒の声がした。

スポーツ大好き、骨粗鬆症女の下荒田が泣きべそを浮かべて僕の方に走ってくる。

「せんせいー!せんせいー!」

「ちょ、ちょっと止まって!!」

いつものように人体模型やら授業で使う資料やらを持っていた僕に、下荒田はおもいっきり体当たりをしてきた。

「う、うわぁ!!」

案の定、廊下に機材を派手にぶちまけてしまう。

「ひー、せんせい!どうして受け止めてくれないのー」

「いや、きみが止まってくれればこんなことには」

「せんせいー。今日は手首が」

「また折れちゃったのかい。今度はなにをしたんだい?」

「今日は折れてないの。友達とリフティングしていたら手首が脱臼しちゃったの」

「いや、僕もスポーツは詳しくないけど、リフティングで手首脱臼するなんて聞いたことないよ!」

「ひー!痛いよ!なんだか風が吹いただけで痛い~」

「きみの歳で痛風はめったにないから安心して。たぶんただの亜脱臼だと思う」

下荒田に左手首はたしかにだらんとしており、まるでやる気のない動物園のカワウソみたいであった。

「とりあえず保健室にいこう。っていっても、僕も機材を持たなきゃいけないし、歩けるかい?」

「ひ~ん。痛くて歩けないよー」

「いや、さっき走ってたでしょ」

「ぶつかった拍子でさらに痛さが増したんだよー」

「まったくしょうがない。誰か機材を持ってくれるひとはいないものか」

僕が周りに手伝ってくれる人間がいないか探していると、

「どれ、わしが持ってやろう」

おおよそ学園では聞き慣れない声が背後から聞こえてきた。

振り返ると、昨日の出水あやねのラボにいたドクターであった。

「きみはお嬢ちゃんに付き添ってあげなさい」

「ドクター。どうしてここに」

そう尋ねる僕の声をスルーするかのように、ドクターはひょいひょいと機材を拾い上げて、保健室のある方向に向かって歩き出していた。

「と、とりあえずいこう」

「あたたた、せんせい動かさないで!」

「あ、ごめん、ごめん」

なんだか昨日と同じことを言われている気がした。

保健室につくと、僕は下荒田に簡単な処置を行い、三角帯を腕に通してあげた。

「とりあえず今日は左腕を使っちゃだめだよ」

「せんせい!ありがとう」

さっきまでの泣き顔が嘘のように笑顔になっている下荒田であった。

「ところでせんせい、その人誰?せんせいの知り合い?」

下荒田は不思議そうな顔をして、窓の外を優雅に眺めるドクターについて質問をした。

「あー、この人は出水さんの保護者みたいなもので、名前をたしかドクター・クルンクルンさんっていうんだ」

「ドクター・クルンクルン?」

「たしかそんな名前だったはず」

「まるでわしがヤブ医者みたいじゃないか。ドクター・クリンクラーだぞ」

「あ、そうだった。ドクター・スプリンクラーだよ」

「わしは暑さ対策の専門家じゃないんだよ」

そんなやりとりを終えると、下荒田は元気よく手首を振って保健室を出て行った。

「ところでドクター。今日はどうしてまた学園に?」

いちおう、関係者以外は立ち入り禁止だと思うんだが。

「ちゃんと来客許可書をとってきたわい。出水くんの保護者としてな」

ドクターは胸に下げてある来客のネームを見せてくれた。

「犬迫先生、今日はきみに話があってきた。なに、先生もお仕事があるだろうから時間は取らせんよ」

「とりあえず座って話しましょうか」

ドクターはさっきまで下荒田が座っていた丸椅子にどっこらしょと言って腰掛け、僕と相対する形になった。

「なにか飲みますか?」

「いらないと言いたいところだが、コーヒーはあるかね?あれはダイエットにいいんだ」

「ありますよ」

僕はふたり分のマグカップを食器棚から出し、インスタントコーヒーの粉を入れ、ウォーターサーバーのお湯を注いだ。

博士は渡されたコーヒーを、今回はヒゲに付着させずに飲んだ。

前回は紙コップだったからヒゲについたのだろうか。

「さて、話というのだね。言うまでもないが、出水くんのことだ」

「やっぱり」

「出水くんのタイムマシーンがほぼ完成しつつあるということは昨日伝えたと思うが」

僕はまだタイムマシーンの存在を完全に信じたわけではなかった、あの超絶天才出水あやねのやることだからもしかしたら可能性があるのではないかと思い始めていた。

けれども。

「どうして出水さんは、あそこまで執念を燃やしてタイムマシーンを作ろうとしているのでしょうか」

僕は昨日とまったく同じ質問を目の前の白衣を着た老人に尋ねた。

「昨日も言ったとおりだが、わしにもわからない。彼女に明確な目的があることは明らかなのだがな」

「ふむ」

僕は普段の出水あやねの言動を思い浮かべてみた。

小柄で、ほんわかした雰囲気でありながら、口に出てくる言葉はなんとか関数だったり、エリアルなんとかであったり、自動マスタングであったり。

まったくもってさっぱり意味がわからない。

しかしながら、ほぼ毎日のようにこの保健室に訪ねてきてくれる。

「どうして彼女は、ドクターのような専門家のところではなく、この保健室にやってくるのでしょうかね」

正直いって、僕には彼女の質問には満足に答えることができない。

僕は元来、ああいった機械理系といった分野を避けて通ってきたのだ。

詰まるところ、僕はあまり彼女の役には立っていないということになる。

なのに彼女はどうして悩みや相談をドクターや専門家に尋ねることはせず、わざわざ保健室にやってきて僕に質問するのだろうか。

「思いきって出水くんに聞いてみてくれないかね?」

「聞くって何をですか?」

「つまり、どうしてそんなにも必死になってタイムマシーンを作りたいのか、ということをだよ」

「はぁ」

僕はあまり乗り気がしなかった。

たしかに僕もそれはかなり気になっているところではあるが、なんとなく出水あやねはその質問に答えてくれないような気がしたのだ。

彼女は、その天才的な才能の代償に、人とのコミュニケーションの技術があまり発達していないように見受けられる。

あまり他人を信用していないんじゃないかと僕は思うのだ。

「わしが以前尋ねたときには、その質問には答えてはくれなかったよ」

「そうなんですか」

「だが、きみが聞けばもしかしたら教えてくれるかもしれない」

「なんで僕が?」

「ほれ、あの子はきみにすごく懐いているであろう?他人に興味を示さないあの子が、なぜかきみにはなんでも聞いてくる。わしと話すときには、たいてい研究の話か、きみの話なのだよ」

「出水さんが、僕の話を?」

なんとなく想像しづらかった。

あまり人に興味を示すような性格ではないと勝手に思っていたので、ドクターのその話は意外過ぎて信じ難かった。

「まぁ、わしもじつは研究の話やら実験の話は得意なのだが、わりとそっちのパーソナルな分野の話は専門外なものでな。やはりここはきみから聞いてくれるとありがたい」

なるほど。

つまるところドクターも彼女の研究の動機が気になるわけか。

個人的に支援するくらいだから、やはりそういう根本的なことは知っておきたのだろう。

「わかりました。とりあえず話の流れでそれとなく聞いてみることにしましょう」

「よろしく頼む、犬迫先生」

ドクターはそういってコーヒーを飲み干すと、ゆっくりと椅子から立ち上がって出口へ向かった。

保健室の扉に手をかけると、言い残したことがあるかのようにこちらを振り返った。

「あ、ちなみに。彼女がタイムスリップしたいのはじつは過去ではなく、未来なのだよ」

「未来、ですか?」

「そうじゃ。それも50年後くらいの未来へタイムスリップすることにこだわっている」

「50年後。どうしてまたそんなピンポイントな年代に」

「わからん。時間旅行を実行したいと考える人間は、多くは過去に行きたいと思うのが普通なのだが、彼女の場合は未来の、しかも50年後の未来に行くことにかなりのこだわりを持っているのだよ」

「50年後。なんだか中途半端な時間旅行ですね」

50年後といったら、僕はかろうじて生きているだろうが、ドクターはたぶん来世で成人を迎えているだろう。

50年後。

見てみたい気もするが、自分が目の前の白髪の老人のようになった姿を想像すると、どうせなら過去に行きたいと思ってしまう。

「じゃあ、わしはこれで。出水くんのことよろしく頼むよ」

「はぁ」

「あぁ、あとこれはわしの名刺だよ。ケータイ番号とか書いてあるから何かあったら知らせてくれ」

ドクターは陽気な声でそういい、保健室の扉を閉めた。

ドクターが渡してくれた名刺には『ドクタークリンクラー 関西大学名誉教授』という肩書きの他に『ダイエットアドバイザー』と記してあった。

案外僕の50年後はこうなっているのかもしれない。

少しは運動もしていたほうがいいかもしれない、と考えた放課後だった。

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