youthful days 本編 第1話

 

保健室のせんせいの仕事は楽じゃない。

とくに男性の教諭となればなおさらだ。

大抵のひとはどういうわけか、保健室の先生ほど楽な仕事はないと思っているようだが、これが意外や意外。やることは死ぬほどある。

授業で使う機材や模型の持ち運び、生徒一人ひとりの診断カルテの作成。

春が来れば全校生徒分の身体検査を行わなければならないし、夏がくれば食中毒の対策委員として山ほどの書類を書かなければならない。

秋が来れば運動会の季節で怪我をする生徒があとを経たない。

冬は冬でインフルエンザや急性咽頭炎(要するに風邪)でやってくる生徒が激増する。

社会人になると、ただ業務をしていればいいというわけにはいかない。

暇を持て余している社員のもとには仕事や役割が回ってくるし、忙しくて首が回らない人間のもとにはもっと仕事が回ってくる。

忙しそうにしている人間にこそ仕事を回せ、という言葉があるが、忙しい人間にとってはいい迷惑でしかない。

この私立妙善寺高校は、私立にしては学費が安い。

敷地面積もそれなりに広く、部活動も盛んだ。

立地的には、駅からも近く、周辺におしゃれなお店も多い。学生にはいたせりつくせりな場所だ。

校舎の窓からはこの町のシンボルと呼べる活火山が、毎日元気よく噴火している。

入学の倍率はけっこう高いが、運動系や文化系での推薦枠もけっこうあり、頭でっかちの人間だけが集まっているわけでもない。

びっくりするほどの秀才もいれば、なかにはロシアの首都もいえないような生徒もいたりする。

人工衛星の打ち上げ速度の測量計算が出来る生徒もいれば、一万円札に載っている偉人の名前すら知らない生徒もいる。

男子の制服はさっぱりして無個性なデザインだが、女子の制服はけっこうかわいいのでそれを目当てに入学する生徒も少なくない。

要するに多種多様な人種を集めることがこの学園の主な方向性というわけだ。

僕がこの学園に十年以上前に入学を希望したときも、その多種多様性に大きな希望を夢見た。

あのころも何かと忙しかったが、それなりに楽しかった。

学生のころに戻りたいと考えている人間がどれほどいるかは知らないが、少なくとも僕がこの学園で過ごした3年間はとても充実していた。

だから大学で保健師の専門課程に進んだとき、同時に教職員課程を受講したときに、就職先としてまっさきに思い浮かべたのはこの学園だった。

晴れて保健教諭職員として採用され、まぁ思い浮かべていた保健室の先生の仕事とはちょっとばかりかけ離れてはいるけども、少なくともこの仕事に就いてよかったと思えるほどには、今の生活は充実しているといえるだろう。

とはいえ。

保健室の先生の仕事は楽じゃない。

この学園の保健教諭は僕だけではない。

「犬迫先生。例の業務改善レポートの期限は明日までなんだけど」

その長く伸びたストレートの淡い金髪は毛先をわずかに遊ばせている。

その部分が、十代の女の子にはない色気と危うさを醸し出している。

始業前の朝の時間。

ほかの教職員たちは慌ただしい時間を過ごしているだろうが、僕らにとってはこの時間がいちばんのんびりと過ごせる時間である。

「どうなっているかしら?」

伊集院先生は僕がこの学園に赴任してくる前からここで保健教諭をしており、僕にとっては保険教諭の先輩という立ち位置であった。

「これはどうも伊集院先生。今日もお綺麗で」

僕は伊集院先生にはいつも挨拶と同時にその美しさを伝えることにしていた。

どんな女性でも、褒められて嬉しくないはずがないからだ。

「そこの共有ボックスに置いてありますよ。僕としてはバイトでもなんでもいいから、助手みたいな立ち位置の人間がほしいところでしたが、まぁそれは承諾されてないでしょうから、とりあえず医療廃棄の分別の効率化を立案しておきました」

女性といっしょに働くときに大事なのは、仕事ができるという素振りを見せずに仕事をこなすこと。

それと、女性という生き物は横から口を出すのが大好きだということを甘受すること。

そしてちゃんと外見を褒めてあげること。

「先生、今日は一段と爪が綺麗ですね。仕事のあとに誰かと会うんですか」

「犬迫先生。それ以上聞くと訴えますよ」

あと余計な詮索をしないこと。

これがいちばん大事である。

「わたしは自分の準備室に戻るから、犬迫先生は2時限目の準備をお願いね」

伊集院先生はそういって白衣をなびかせて出口に向かった。

去年までは彼女もこの保健室でいっしょに働いていたが、伊集院先生は今年の春に第2保健室を設けてもらいそちらに拠点を移したのである。

機材や教材も意外と場所を食うので、お互いにその方が都合いいと意見が一致した結果だった。

「それと、犬迫先生」

「なんでしょう?」

「今日も来てるわよ。1年A組の出水さん。扉の前で待ってる」

「お、そうですか。わかりました」

伊集院先生は香水の残り香をあとにして、保健室を出て行った。

そのあと僕も椅子から立ち上がり、保健室の扉を開いた。

「出水さん、早いね。入っておいで」

「はい。失礼します」

その幼い顔立ちと、こだわりを持っていないまっすぐに伸ばした髪を持つ女子生徒は、朝一番に保健室にやってきた。

「失礼します」

礼儀正しくお辞儀をし、キャスターのついた丸椅子にちょこんと座った。

「今日は天気がいいね。しばらく雨続きだったし、いい感じの秋晴れって感じだよね」

ここに来る生徒たちは、なにか話したいことがあってやってくる。

しかし保健室にやってきて、すぐに本題に入るかといえばそうではない。

大抵の場合、雑談や天気の話をして、そこから徐々に本題に入っていく。

そのほうが相手も話しやすい。

けれども。

「今日は午後の2時ごろからくもりのち雨みたいです。確率は70パーセントで、雨雲と風の動きからしてほぼ確実にこの辺は太陽が拝めないと思います。そんなことより先生、聞いて欲しいんですが」

のほほんとした喋り方でそんなことをいう。

出水あやねの場合は、いい意味でも悪い意味でも実存主義というか、形あるものにこだわるというか。

無駄なことを極端に省く性格であるためか、雑談や天気の話にあまり興味を持たない。

「なんか、わたしの自動マスタングの調子がおかしいんです。集計回路をすこしいじっただけなんだけど、隣接するエリアルオブサーバーを単独で試験運転したときにはなんの異常もなかったし、むしろ以前よりサンプルプログラムの数値は安定しているんです」

彼女はなにやらいつも怪しげな研究に精を出している。

いったいなにをそんなに熱心に開発しているのか誰もわからなかった。

「だけどアブソリュート関数の測定がズレまくっているんです。これぜったいおかしいです」

そのほんわかした口調と、あどけない表情からはとても想像ができない言葉が次々と出てくる。そして僕には彼女の言っていることの半分も理解できない。

「出水さん、自動マスタングって?」

「これですけど?」

彼女が見せてくれたのは、1リットルのペットボトルくらいの大きさと形をした、なにやら灰色の物体だった。

配線やら発光ダイオードやらが飛び出たりしており、見ただけでは何に使うのやらさっぱりわからない。

「それが自動マスタング?」

「そうですけど?」

さも当たり前のように出水あやねは答えた。

「それはいったいなんの機械なのかな」

たぶん聞いてもわからないんだろうな、と思いつつ僕は質問した。

「自動マスタングは、広領域での空気中の分子量をラムダ計算系に置き換えてくれるデバイスです」

案の定、さっぱり意味がわからない。

「故障したの?」

「いえ、故障というより期待数と観測数の差に納得いかなくて」

「とりあえずメーカー保証とかないの?」

僕は、どんなに難解で解決が途方にくれるような相談でもなるべく真摯に対応しようという信念を持っている。

僕のところにやってくるということは、つまるところ僕を頼ってきてくれていることなのだ。

だからどんな相談も、どんな悩みもちゃんと聞く。これが僕の役割なんだと思うようにしている。

「ほとんどの電気メーカーはサポートが充実しているし、通話料かかっちゃうけど24時間のところもあったりするよ」

「メーカー保証もなにも、これわたしが作ったからそんなものないですよー」

目の前のほんわか美少女は、さりげなくものすごいことを言ってくる。

彼女の独自の研究とやらはいったいどこに向かっているのだろうか。

僕の信念は早くも崩れそうになっていた。

「ごめん。僕にはちょっとむずかしいかも。機械とか苦手でさ」

「あ、もしかしたら半導体を安くて耐久性の低い大手のメーカーのを仕入れたから、きっと伝導率と回路復旧に時間がかかりすぎてそのせいで有機パルスメーターが測定できる数値の限界を軽く超えちゃってるせいかもです」

わからない単語が多すぎる。

単語の意味をひとつひとつ教えてもらったところで、それでもなにひとつわからないだろう。

僕には結局、彼女の話を聞いてあげることしかできない。

しかし彼女は僕の言葉の何かが引っかかったのか、なにやらひとりでぶつぶつとつぶやいていた。

もちろんなにを言っているのか僕にはわからない。

「あんまり煮詰めない方がいいと思うよ」

僕はとりあえず彼女が肩の力を抜けるように慎重に言葉を選んだ。

「煮詰まっているときというのは、視界がすごく狭くなっているんだよ。そういうときは広い景色を見たりして、あるいはなにも考えないようにして脳を休ませてあげた方がいいんだ」

僕はそういう風にアドバイスをした。

「そうですね。なんとかやってみます」

出水あやねはまっすぐと僕を見つめてそう答えた。

はたして僕の言葉が届いているのかどうかは怪しいが。

「出水さんは、将来は機械とかプログラミングの仕事をしたいのかな」

僕は意図して話題をそらした。

いつまでもこの話題をしていたら頭がパンクしそうだ。

「わたしはこの研究が終わったら、アクセサリー屋の店員になりたいです。そのためにはがんばって自動マスタングを完成させないといけないんです」

どうして自動マスタングとアクセサリー屋の店員がつながるのかが僕にはさっぱり理解できなかった。

きっと彼女のその複雑な脳では、そのふたつはしっかりと繋がっているのだろう。

「せんせー、ありがとうございました。そろそろ1時限目の授業が終わりそうなので失礼しますー」

しばらく話して満足したのか、出水あやねは自動マスタングを抱えて立ち上がった。

「またいつでもおいで。役に立てるかどうかはわかんないけど」

「いえ、せんせーにはいつも助けられています。こんな話ができるのせんせーしかいないから」

どこか寂しそうなトーンでそういうと、出水あやねはお辞儀をして保健室を出て行った。

僕はすこし息を整えたあと、そういえば伊集院先生に2時限目の授業の準備をしておいてと頼まれていたことを思い出した。

僕はあわてて機材やら模型やらを取り出して保健室を飛び出した。

今日も慌ただしい一日が始まる。

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